古より現代、そして未来へ

八百年の時の流れが織りなす

       善重寺の歴史

 

親鸞聖人と善念房

善重寺の開基は親鸞聖人の二十四輩第十二番善念です。

善念は俗名を三浦三郎義重といい相模の国の武士でした。「二

十四杯参拝図会」では三浦三郎義重を三浦大輔義明の弟岡崎四

朗義美の孫与一左衛門実正の三男としています。三浦氏は北条

氏と供に鎌倉幕府の中心をなす一族です。三浦三郎義重と親鸞

聖人の出会いは義重が鹿島神宮に参拝した帰りに桜川に差し掛

かった時、老僧が流れを渡れず困っていました。義重はこれを

見かねて老僧を背負い川を渡りました。この僧が親鸞聖人だっ

たのです。この縁により、親鸞聖人の弟子に加わりました。さ

らに親鸞聖人が桜川のほとりに一宇を建立し、布教されました

が、この一宇を善念房に付属し、善念房は弘安八年(1285年)

85歳で入滅されるまで師の命に従い人々を導いたと伝えられて

います。

善重寺の名前は善信(親鸞聖人)と義重の名から2字を取りつけ

られたとされています。

 

水戸(徳川)光圀公と善重寺

善重寺は常陸国笠間にて建立されました。後に那珂郡東門部

に移転し、13代の時に現在の地に再興されました。現在の地

に善重寺を再考されたのは水戸光圀公です。光圀公は領内の

寺院を整理しましたが、由緒ある寺院は取り立てて再考し保

護しています。善重寺は親鸞聖人の旧跡として保護を受け、

江戸期には領内の触頭を務めています

 

鎌倉期の作 聖徳太子像

善重寺には国の重要文化財に指定されている鎌倉期の作と推

定される聖徳太子像が伝わっています。水戸光圀公が善重寺

に寄進したものです

光圀公は延宝6年(1678年)に夢枕に太子像が立たれたので、

家来たちに探させると水戸領内の大山という所で木造聖徳太

子立像が見つかりました。かつて大山の地には親鸞聖人が滞

在された「大山禅坊」があったと伝えられています。この太

子像は親鸞聖人が参拝されたお像と伝えられています。

親鸞聖人は日頃より聖徳太子を崇敬されていました。大山の

地にあったことからすれば実際に親鸞聖人が参拝されたもの

だと思われます。

善重寺では太子像を聖徳太子の御命日2月22日に御開帳して

います。

 

国指定重要文化財 木造聖徳太子立像祀る

善重寺太子堂

水戸郷土かるたに読まれる善重寺

かるたに言う「みずら」とは,「美豆良」と書きま

す。中央から左右に分け,耳のあたりで著で結

んで耳の前にたらす聖徳太子の髪型のことです。

 

水戸郷土かるた

郷土の素晴らしさ、美しさを実感してもらおうと

水戸市が市政施工90周年を記念して昭和45年に

作成されたかるたです。かるた遊びを通して水戸

市の歴史・文化に親しんでもらおうと作られまし

た。毎年1月に市内の小学校で水戸郷土かるた大

会が開催されます。

国指定重要文化財

木造聖徳太子立像

 

真宗大谷派

本山 京都 東本願寺

 

 

善重寺

〒310-0841

茨城県水戸市

        酒門町2096-2

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