古より現代、そして未来へ
八百年の時の流れが織りなす
善重寺の歴史
●親鸞聖人と善念房
善重寺の開基は親鸞聖人の二十四輩第十二番善念です。
善念は俗名を三浦三郎義重といい相模の国の武士でした。「二
十四杯参拝図会」では三浦三郎義重を三浦大輔義明の弟岡崎四
朗義美の孫与一左衛門実正の三男としています。三浦氏は北条
氏と供に鎌倉幕府の中心をなす一族です。三浦三郎義重と親鸞
聖人の出会いは義重が鹿島神宮に参拝した帰りに桜川に差し掛
かった時、老僧が流れを渡れず困っていました。義重はこれを
見かねて老僧を背負い川を渡りました。この僧が親鸞聖人だっ
たのです。この縁により、親鸞聖人の弟子に加わりました。さ
らに親鸞聖人が桜川のほとりに一宇を建立し、布教されました
が、この一宇を善念房に付属し、善念房は弘安八年(1285年)
85歳で入滅されるまで師の命に従い人々を導いたと伝えられて
います。
善重寺の名前は善信(親鸞聖人)と義重の名から2字を取りつけ
られたとされています。
●水戸(徳川)光圀公と善重寺
善重寺は常陸国笠間にて建立されました。後に那珂郡東門部
に移転し、13代の時に現在の地に再興されました。現在の地
に善重寺を再考されたのは水戸光圀公です。光圀公は領内の
寺院を整理しましたが、由緒ある寺院は取り立てて再考し保
護しています。善重寺は親鸞聖人の旧跡として保護を受け、
江戸期には領内の触頭を務めています。
●鎌倉期の作 聖徳太子像
善重寺には国の重要文化財に指定されている鎌倉期の作と推
定される聖徳太子像が伝わっています。水戸光圀公が善重寺
に寄進したものです
光圀公は延宝6年(1678年)に夢枕に太子像が立たれたので、
家来たちに探させると水戸領内の大山という所で木造聖徳太
子立像が見つかりました。かつて大山の地には親鸞聖人が滞
在された「大山禅坊」があったと伝えられています。この太
子像は親鸞聖人が参拝されたお像と伝えられています。
親鸞聖人は日頃より聖徳太子を崇敬されていました。大山の
地にあったことからすれば実際に親鸞聖人が参拝されたもの
だと思われます。
善重寺では太子像を聖徳太子の御命日2月22日に御開帳して
います。
国指定重要文化財 木造聖徳太子立像祀る
善重寺太子堂
●水戸郷土かるたに読まれる善重寺
かるたに言う「みずら」とは,「美豆良」と書きま
す。中央から左右に分け,耳のあたりで著で結
んで耳の前にたらす聖徳太子の髪型のことです。
●水戸郷土かるた
郷土の素晴らしさ、美しさを実感してもらおうと
水戸市が市政施工90周年を記念して昭和45年に
作成されたかるたです。かるた遊びを通して水戸
市の歴史・文化に親しんでもらおうと作られまし
た。毎年1月に市内の小学校で水戸郷土かるた大
会が開催されます。